2003年 松下政経塾特別例会

 
◆垰  裕則(岡山政経塾 二期生)

松下政経塾研修レポート



 先日、松下政経塾で研修を受ける機会に恵まれました。このような機会を提供して下さった幹事の方々や事務局の方々、そして快く受け入れて下さった松下政経塾の方々に対する感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。また時間的には厳しいものがありながらも楽しい研修を過ごせたのは、上記の方々に加えて例会幹事を始めとする岡山政経塾の皆様のお陰です。本当にありがとうございました。

 今回の研修で伺ったお話の中で、共通点のある事柄を論じていると私が感じたお話があった。それは、開善塾教育相談研究所相談室長の藤崎育子氏の御講演、それに松下政経塾23期生の橘秀徳氏と上里直司氏の御二方の発表であった。
 この御三方のお話の共通点とは、大雑把に言ってしまえば、少子高齢化問題も引きこもり問題も「経済問題」だという事である。それは藤崎氏のお話の中にも出てきている。藤崎氏は「学校に行かないという選択肢」を「現実的でない」として退けている。その理由として、「稼げない」ために「生きていけない」事を挙げている。引きこもっていても、何らかの形で自分の生活費を手に入れなくてはならない。少子高齢化の場合も、それがもたらす(市場縮小や貯蓄率低下などの集団単位のものから、年金給付水準低下などの個人単位のものまで幅広い)富の減少が問題なのである。その背後には、ある時点で自分が生活していくのに十分な富を得られない人々をどうするかという問題がある。当然だが、それは私達一人一人がどのような社会に住みたいかと表裏をなす問題である。
 以下、本小レポートではこのような問題に対して、御講演頂いた中での処方箋を挙げて比較する事で、どう対処するべきかを考えたい。
 処方箋だが、藤崎氏は失敗の「「怖さ」を克服する」事である。それは、人々が「失敗できない」呪縛から解き放たれる事で、何とか人間関係から逃げ出さずに生きていき易くする事である。これに対して、上里氏は「人材開国」である。それは、出生率の低下を海外からの人々の流入によって補完する事である。私は、藤崎氏の解決策は「質的」解決であり、上里氏の解決策は「量的」解決であると思う。以下に詳しく述べよう。
 藤崎氏は不登校になる特徴として「失敗できない」という性格を挙げている。このような性格の人は、休んだ場合に「説明する事ができない」ために不登校になるらしい。しかしこのエピソードはおかしな点を含んでいるように思われる。私達が日常で説明を行うのは、お互いの経験や価値観が違うという事を認識した上で、意思疎通を行うためである。説明が無意味な世界というのは、他人と自己とが同じ経験で同じ思考様式を採るという前提が存在する世界である。また藤崎氏は、少人数学級の方が勉強やスポーツといったものによる順序が絶対的に固定化され易いと述べていた。勉強やスポーツをすれば、結果に差が出るのは当然である。このような結果で測られ「差異」が許されない世界に、「失敗」という多様性を持ち込む事−失敗の仕方、原因は多様である−で、挑戦し易い世界になる。そしてそれは、挑戦を通じて人が変われるという点で、引きこもりに対する「質的」解決だと思うのである。
 上里氏は短い時間でお願いした事や私の力不足もあり、内容を十分に把握できていない面もある。その上で、外国人労働者を補完して築かれる社会が、現在の社会を前提としていると感じた。その点で「量的」解決だと思う。ただ、上里氏もそれだけに留まらず多文化共生を掲げており、その辺りを今度は詳しくお聞きしたい。
 私は「質的」解決を考えてみる時だと思う。それは、私達がどのような社会に住みたいかという事を考える、良い契機になるからである。それは社会の理念を考える事である。経済成長という前提が崩れたのなら、それを前提とした社会像を作り変える時だ。そして、私が再挑戦可能な社会を好ましく思うのは、希望が持てる社会だと思うからだ。ある時点の結果や失敗により、物事が決まってしまうと教えられたとしたら、誰が希望をもって前向きに人生を送れるだろうか。そして働き手が減ったとしても、一人一人がその潜在能力を十二分に発揮したなら、異なってくるのではないだろうか。
 
 蛇足になるが、桜美林大学国際学部助教授の小沢一彦氏の講演を聞いた時に、私が感じた居心地の悪さのようなものはこの点に起因する。国際情勢を聞いて、「対米追従」か「反米」かを迫られる気になる。しかしそれは情勢、即ち現実であって、そこには「どのような国際社会にしたいか」という理念が欠けている。理念という基準があるから、現実と自分との距離を測れるのである。理念がなくて現実に向き合えば、現実に振り回されて当然であろう。そう考えると、どのような社会や世界に住みたいのかという理念を頭の片隅で考え続ける事が、私が学んだ事である。そして同時に実践を通じて失敗し、学ぶ事も続けていきたい。