2009年 松下政経塾特別例会

 
◆塩澤 勝利(岡山政経塾 八期生)

《松下政経塾体験レポート》
数多い学び=気付きたち〜今も息づく松下幸之助のスピリッツに触れて〜




【0】はじめに
松下政経塾は神奈川県茅ヶ崎市に、故松下幸之助氏が昭和54年に私財を投じ、設立された塾。一見発展したかにみえた日本にも“困り”(潜在的な課題)が多くあるとの問題意識を持たれており、それらを克服しより明るく元気な日本をつくるリーダー育成を願い、設立された塾である。別な言い方をすれば、日本は地盤が不安定とのことであろう。もっとよりよい地盤を築き、誰もが安全、安心、成長を自ずと願える社会になって欲しいとの願いがあって、設立を決意されたのだと思う。現に、今の日本は、当時からは考えられないほどの借金を抱えている。その現象は、日本の困りの一つの体現であろう。
松下政経塾の厳格な佇まい、所々に散りばめられた想い、そして、出会った講師の方々、その空気、息吹から、本当に2日間以上の学びがあったと感じる。

「学び=気づき>知識吸収」
講師の西田さんから教えていただいたことを記号化した。今回、多くの知識/知見の教授や体験をしたが、入れた知識や体験をトレースするだけ出れば、ただの記憶/記録であるし、それだけでは自修自得の名に値しない。学びとは、別な言い方をすれば自らのOSやCPUのバージョンアップとも言えよう。瞬間風速的なワンタイムのバージョンアップにしないためにも、順不同であるが、その学びたちを自分の言葉に表現していきたい。岡山政経塾での1年間は、自分の方向性決定の一年とも意義付けている。ただ表現するに終わらせることなく、絶えず振り返りと実践を試み、自分の血や肉にしていきたい。


【1】素直
何度も聞いたフレーズ。
字面を分解すると「何かの染まり、覆い、加工のないストレートなさま」。私としては、ゼロベースな見方、捉え方、あるいは、傾聴力との解釈が今のところしっくり来る。直感的に浮上する“従順”との意味では言われていない。

・例えば、浪費癖のある人がお金の大切さを語った場合、自分も含め、「お前に言われてもなぁ」「自分がましになってから言いなよ」のような反応が多いだろう。しかし、その人は、自己の失敗があるからこそ、その大切さを身に染ませ、何か大切なメッセージを届けようとしたのかもしれない。ここで素直な状態であれば、つまり見方をゼロベースにしていれば、その造詣あるメッセージを習得する機会になり、もしかしたらその人と生涯成長しあえる関係になるのかもしれない。逆に素直でない、つまり出来上がった見方に囚われては、戯言に聞こえてしまいせっかくのメッセージも耳に入らない。
・別な例として、それこそ“従順”な愛犬に自分が噛み付かれ、その事実を受け入れきれずうろたえる例を見聞きする。素直、ゼロベースの状態にあれば、その事実を受け入れ、その犬への接し方を見直し、よりよい関係を考えるよい機会になりうる。犬を飼う教訓を得ることも出来るだろうし、その教訓は、人間関係にも応用が利くかもしれない。逆に、素直でない、あるいは、自負心があろうものなら、その事実を認めきれず、自分の考えに意固地になったり、挙句には以降は冷酷な接し方になるとも考えられる。
・あるいは、一見冴えない印象があり清潔感あるともいえない人が、“美学”を語る場合、恐らく似た反応が多いだろう。自分自身がよくよく聞いて、咀嚼しなければ、その奥深いかもしれないメッセージを得る機会を失ってしまう。

以上のような実例から、帰納法的であるが、素直とは、ゼロベースな見方、捉え方、あるいは傾聴力との解釈が今のところ最もしっくり来る。
しかし、この解釈は、あくまで実利実用面を踏まえての解釈である。松下幸之助氏は『素直な心になるために』の著で一冊を費やし、“素直”について語るが、何も実利テクニック伝授のために一冊を費やしたわけではなく、もっと深いメッセージを込めている。そして、著の中でも、自身も“素直”の見直し、咀嚼を何度も試みたいと記している。私自身もわかったつもりにならず、折にふれ、実践と検証を試みたい。


【2】感謝と謙虚
何度も聞いたフレーズ。
単純である。今の自分は自分だけで自然形成したのだろうか?否、誰かに、何かに、必ず支えられている。
しかし、故松下幸之助氏を始めとする各位が敢えてこの事項を挙げる意味は何なのだろう?
恐らく、人はその単純すぎる教訓を忘れるからだ。単純すぎるからこそ、「自分に感謝や謙虚は十分なのだろうか?思いあがっていないだろうか?」折にふれ、確認して行きたい。
自分も、職場の中では●●担当者との役割があり、それなりに話を聞いてもらえたり、発言力を持つ場合もある。しかし、その事象の背景は、●●担当者との組織的お墨付きがあってからこそなのかも知れず、私自身への信頼への証でないのかもしれない。逆に言うと、このことは、身近にも「本当に謙虚なのか?」を確認する機会に恵まれていることも意味する。自分自身を確認する絶好の機会である。
そして、副次的であるが、自分に感謝と謙虚が充実すれば、【1】の素直の意味も、テクニカルにとどまらない深い理解ができそうな気がする。「現に自分は足りていないかもしれない」その仮説に立ち、自己への検証を試みたい。


【3】この門をくぐる者は、どんな困難に出会おうとも愛と平和と正義と勇気で太陽に向かう
松下政経塾の厳格な佇まいの門に描かれた絵に込められたメッセージ。正直、青臭くも感じなくはないフレーズが並ぶが、しかし、果たして、これらなくして、日本全体を良くするかのような遠い目標に辿りつけようか?
これまで自分自身の青臭さを恥じてしまうこともしばしあったが、青臭さとは素直×理想×原動力の化学反応なのかもしれない。自分に少しばかり誇りの持てた瞬間であった。


【4】師を持たずしてその道に達する
松下政経塾は予備校のような知識網羅、集約的カリキュラムはなく、自分でテーマを見つけ自修自得することに重きを置いている。使い古された言い方だが、世の中のこれから先は、先行き不透明である。行き先不明の、線路を走ってくれるかも不安な電車に乗るようなものである。決まり切った未来図など描ける術もなく、完全依存できる師など存在し得ない。一定のカリキュラムをこなせば
基本は自分の力で歩むこと、そして、感謝と謙虚を忘れずに他者と相互作用し、自修自得すること。回り道しようが、遅かろうが一歩は一歩である。
これまでの岡山政経塾プログラムでも教わってきたことであるし、これから必要となる姿勢かと考える。
この姿勢なく、自分がダメになれば、それは「自業自得」である。


【5】精神、肉体、両者の充実と使命(元気と志なくして日本は背負えない
どんな困難に立ち向かうにも大切な基礎/基本となる。
・昨年キャリアに関する研修を受け、稚拙ながらも、キャリア形成は、OS(肉体、精神)とアプリ(スキル)の醸成かと考えた。極端な言い方をすれば、一日中鶴嘴を握り作業できるほどの精神力と体力の育成/温存が最高のキャリア形成なのかもしれない。どんな夢や理想も、地盤が緩ければ、志半ばで終わってしまう。
・先般の自衛隊、100KM歩行で、体力の大切さを学んだ。
今、自分自身は、そのOS鍛えに精を出しているだろうか?上記の研修や政経塾プログラムでの瞬間風速的気付きで終わってしまっている。使命、志がまだまだ練りきれていないのだと思う。


【6】「政治=経営」と毎朝の掃除の意義
政治も経営も、単純に言えば、対象物や規模がマチマチながらも、“上手く行かせる”ことが目的。そのプロセスでは、事象の整理、課題発見は、否応なくなすべき項目となる。講師の方は、毎朝の掃除の意義をこう語った。
政治は、いわば、世を綺麗にすること。そのリーダーを担うものが身近な所を綺麗にできないようではとても大役はこなせない。(一言一句は正確ではないが)
何もできないのに大口ばかりたたいてないだろうか?朝の清掃は、心洗われる清々しさを感じるとともに、自分の姿勢を反省した一時であった。
なお、松下政経塾の構内には敢えて四季別の木が植えられている。日本独特の四季を感じて欲しいとの願いがあってである。今回の掃除というある意味ゆっくりな作業を通じ、その願いを身にしみて感じた。


【7】塾是、塾訓、五誓の唱和
松下政経塾では、毎朝声に出してこれを読む。
人はとかく現実に流され、大切なことすら忙しさや疲れで忘れてしまう脆い生き物である。
自分が心底誓った、あるいは惚れたフレーズを忘れないため、そして本物にするための反芻なのだろうと思う。よく言われる原点回帰にも似ているのだろう。
少し論点がそれるようだが、もし自分に大切なパートナーができたのならば、その記念日を2人の関係の反芻、あるいは原点回帰の日と位置づけたいと考えた。自分で決めたこと、自分が立てた記念日だからこそ、きっとクリスマスや正月以上であろう。


【8】湘南という土地に存在する意義と「身近」ということ
夜と早朝の2回、茅ヶ崎の海を散歩し、綺麗な波音と景色に癒され、心が洗われた。そしてマラソン、散歩、サーフィン準備を元気に行う市民の姿も目にし、本当に生き生きしていた。
松下政経塾での勉学の中では、目を覆いたくなる現実も多く打ちひしがれることも多いだろう。しかし、現実はそんな気持ちとは関係なく過ぎていく。過去の塾生各位は、何人も、この湘南の海や元気な人々の姿に癒され、心洗われたのかと想像する。このことも湘南の地にある意義なのかと考える。
この夏、綺麗な海を求め、沖縄、グアムを訪れたが、意外に身近にもこんな綺麗な自然がある。身近な岡山にも自分を癒し、楽しませてくれ、そして愛したくなるものは存在するはずである。自分の場合、何にしても、ないものねだりが多く遠くばかりを見がちな所があるが、身近も真剣に見つめる大切さを再確認した。こういう積み重ねが、やがて、地元への愛情にも繋がるのだろう。
そして、余談かも知れぬが、松下政経塾を後にしてから、8期生全員で湘南名物のしらす丼を食べに行った。渡辺くんがしきりにその美味しさを語っており、それがきっかけで全員で行くことになったのだが、本当に絶品だった。行列も出来るほどであった。名物の名物たるゆえん、ただのネタに終わらせず、追求する心を養いたい。(健太、紹介ありがとう!)


【9】スピーチやレポートの意義
松下政経塾では、毎朝フリースピーチをしている。その意義は、自分の思いを自分の言葉で話せるようになること。講師の西田さんによれば、
会社での話は、自分ごとではなくビジネスのこと。だから理路整然と話せる。しかし、自分の思いとなると話せるようで話せない。だからこそ毎朝のフリースピーチはいい機会である。

同感である。全く異論はない。
これまでも岡山政経塾カリキュラムの中でレポートを書いてきたが、その意義は、気付きを風化させないこと、自分の思いを自分の言葉で表現できるようになること、そして、上辺だけの経験に終わらせないこと、と今回思った。今更ながらレポート記載の有効性を感じた。


【10】最後に
“気づき”とは結論ではなく、大いなる仮説である。繰り返しになるが、わかったつもりにならず、何度も反芻し、気付いたことを深めて行きたい。PDCAを忠実にサイクル早く回してこそ、堅調に自分のOSやCPUのバージョンアップア実現できるのだと思う。

今回の研鑽では、松下政経塾の古山塾頭、海老名さん、西田さん、北川さん、岡山政経塾事務局各位、幹事の采女さん、榎波くん、そして学び語りあった同期各位には大変お世話になりました。こんな意義深い勉学の機会を頂戴できたことのありがたさは語り尽くせません。
以降は卒論に向けて猛ダッシュ!今回の気付きも活かし、フルスロットルで進んでまいります!

こんな充実した機会になったのは皆様のおかげです!本当にありがとうございました!