2008年 松下政経塾特別例会

 
◆山崎  悠(岡山政経塾 七期生)

《松下政経塾合宿レポート》




 この合宿は、今一度自分の生き方のスタンスを見直す機会になった。自分の弱さを見つめ、これから改善していけることを思った貴重な2日間だった。以下、今回の合宿についての考察を述べる。

<古山塾頭講義>
 松下政経塾設立にまつわる生のお話を聞かせてくださった。設立趣意書からだけでは推し量れない塾主・松下幸之助の思いをうかがう事ができた。特に「自修自得」という考えに対して、格別の思いがあり、それを実践されたようだ。「師を持たずして、自らが師になる。その道に達する。」、「塾への依頼心を超える。」これらの言葉にハッとさせられた。政経塾に入れば何かが学べる、極上の講義を聴くことができる。それは確かに間違いではない。問題なのは、そのことに対する依頼心というか、依存心を自分の中に見てしまったことだ。手取り足取り教えてくれる学校教育を受け、受身のお客様生徒であることに慣れている自分。頭では理解しているつもりだった「自修自得」。まだまだ至らない。未熟だ。

<覚悟と志>
 塾生の方との対話や、講話を聞いていて感じたことが2つある。1つに、この方たちが想いや夢を話す姿は美しく、格好いいということ。2つ目に、皆一様に清々しくきれいな眼をされているということ。
 それはなぜか?覚悟と志を芯に持っているから。自分の言葉に自信を持ち、それを裏打ちするだけの努力を日々続けているから。痛みも辛さも明日の糧にしているから。日本を愛し、郷土を愛し、明日に限りない夢を見ているから。「いまやらねばいつできる。わしがやらねばだれがやる。」職を辞し、自ら退路を断ち、この言葉を文字通り実践されているから。そしてなにより学ぶ喜びを、日々噛み締めているから。本来、「学ぶ」という行為は、とても贅沢で喜ばしい行為であるはずだ。そういう意味において、本物の学生の姿を見た。自らを省み、恥ずかしくある。

<主張力>
 自分の主張力の弱さが歯痒くて仕方が無い。ある塾生はおっしゃった。「自分たちは30分、自由に話す時間がいただけたら皆さんを自分の世界に引き込むことができる。その自信がある。」それは、どんな相手に対しても、だと思う。現時点での自分を良く分かっており、ありのままを見せる勇気と気概が無ければこの言葉は言えないだろう。そして前述の通り、日々己と対話し、己を磨き、不断の努力を続けている人間だからこその言葉だと思う。頭の中で様々なことを考えていても、それをアウトプットできなければ、対峙している人間からしてみれば何も考えていないのと同じである。思いを言葉という形にすることの大切さと難しさを、再認識した。ただこれは、最初からうまくできるものではない。失敗を恐れず、話そう。主張しよう。

<宮川塾生発表>
 私は教員を志す身。宮川さんの研究テーマ、『「教育」で日本を立て直す』にはとても興味がある。私が信じている言葉がある。「子どもの目の輝きは今も昔も変わらない。変わったのはその目に映る社会の方だ。」というものだ。だから現場を経験されている宮川さんが「子どもの本質は今も昔も変わらない。」とおっしゃっていたことが、単純にうれしかった。 
 大人が子どもを信じられなくては終わりだ。子どもの目に輝きが失われては終わりだ。「大人が変われば子どもが変わる。」子どもはその澄んだ眼でじっと見ている。まずは大人から。

<おわりに>
 常勤講師を置かない代わりに、塾は塾生に何を提供するのか?答えは簡単、思いっきり研鑽を積むための環境である。これは教育活動の根幹だと思う。子どもについても然り。安心・安全で、学ぶために必要な環境が整っていれば、子どもは自ずから学ぶ主体であるはずだ。これは理想論ではなく、真理だと信じたい。
 今回の合宿は、悶々と自分のことを見つめる良い機会になったと思う。松下政経塾合宿は、岡山政経塾のカリキュラム折り返しのこの時期に行ってこそ最高の効果があると感じた。改めてカリキュラムの素晴らしさを思った。こんな贅沢な時間をいただけたことは自分にとって本当に幸せなことだった。ありがとうございました。

             岡山政経塾7期生・山ア 悠