2008年 松下政経塾特別例会

 
◆西村 公一(岡山政経塾 七期生)

《松下政経塾例会レポート》




<はじめに>  
 2週間前、フィリピンのストリートチルドレンを救済・保護する活動に参加し帰国した。
 フィリピンの首都圏には、現在、25万人を超えるストリートチルドレンがいると言われ、今もなお、その数は増え続けている。
深刻な貧困問題が家庭崩壊を起こし、ストリートチルドレンを増加させる要因になっている。
タガログ語で「保護施設」や「避難所」を意味するカンルンガンは、そうしたストリートチルドレンを虐待や子供売春から救済・保護する非営利児童保護団体(NGO)として活動中である。
 カンルンガンには、実母、義父母からの性的虐待や、ドラッグ、強盗、レイプなどの犯罪事件に巻き込まれた子供たちが、救いを求めてやってくる。
 フィリピンでの活動を通じて、政治及び選挙制度の大切さ、自他共に生きる大切さについて考えさせられたが、今回の松下政経塾例会は、フィリピンで身をもって体験した自分の考えを整理するのにとても役立った。
 
<政治及び選挙の大切さ> 
 フィリピンには想像を絶する貧富の格差が存在する。
 国民の5パーセンが国の95パーセントの資産を保有する一方、残りの貧しい国民は激しい貧困にあえいでいる。
 フィリピンには中流階級は存在せず、富める者、貧しき者に大別される。 
 路上にはその日暮らしのストリートの群れ。
 マニラ最大級のゴミ廃棄場(スモーキーマウンテン)のゴミを拾って生活する子供達。
 こういった貧しき者を救うには、雇用を創出し、所得を増大させ、貧しさが貧しさを生むという悪循環を根絶することが必要不可欠。
 そこで、政治の出番となるはず。
  ところが、フィリピンの貧しき者は政治から見放され、放置されたままの状態。  
  その原因は貧しき者の多くが選挙権を有していないことにある。
  戸籍制度も不十分で、国の正確な人口さえ把握できずにいるのがフィリピンの現状。
  選挙人名簿も不十分で、貧困層のほとんどが選挙に行くことはない。
  文字も読めない、書けない。
  貧しき者には選挙権がないので、貧困問題解消についての政策を訴える政治家の出現を望むことは不可能な状態。
お金持ちの、お金持ちによる、お金持ちのための政治、それがフィリピンの現状。
選挙で政治家を変え、政治を変え、その結果として生活を変えることなくして、フィリピンに明るい未来は期待できないと考えた。
   
 松下政経塾塾生の宮川典子氏は講義の中で、
    ・教育で子供の未来を切り開く
    ・大人が変われば子供が変わる
    ・この国は国民一人一人がつくっていることを子供に理解してもらう
  ことを今後の目標と設定されていた。
  
 選挙権は国民に与えられた武器であると思う。
 大人が選挙権を大切にし、子供へと継承していくことが大切。
 決して選挙権を粗末に扱ってはいけない。
 理念と政策を持つ政治家を、しっかりと選ぶことは自身の幸せにつながるはず。
 日本人は豊かすぎて、政治と選挙権の大切さを見失っているのではないか。
 子供たちに選挙権の大切さを幼いころから理解させることは大人の大切な義務。
 まず、大人が変わらなければならない。
 選挙権がないこと、行使しないことは不幸を生むと考え、今日から自分も変わろう。
 
<自他の幸せ> 
 フィリピンには、お互い助け合って生きていこうとする風潮がある。
 たくさんのNGOが貧困層の支援に当たっている。
 カンルンガンのスタッフは語る、「国が何もしてくれないけれど、恨み節はやめて、お互い助け合って生きていくのがフィリピンです。だから民間組織の果たす役割がとても大きい。」と。
 日本はどうか。
 個人の幸福の達成には真剣になるが、他人の幸福、社会の繁栄、平和を願う国民は少ないのではないか。
 漠然と社会に広がる無力感、モラルの低下、教育の乱れ。
 あらゆる分野を覆う閉塞感の底には、他者に対する無関心や無力感が横たわっている。
 そこには、社会全体の幸福を実現しようとする視点はない。
 目の前の一人を大切にし、日本の平穏、世界の平和を祈る姿勢こそ、自他共に幸せになるための要諦ではないか。
 
 横浜市国際交流協会理事長(前横浜市副市長)の前田正子氏は、
    ・福祉行政の経験から住民エゴを感じる
   ・地域に何か問題があれば行政の責任にする
   ・行政にクレームをつけることが当然の権利と考えている
   ・その一方、住民自体で何かしようとは考えない
 と、自他共に生きる姿勢の欠如を鋭く指摘されていた。
 
 松下政経塾塾頭の古山和宏氏は、 
   ・リーダーの条件の一つは志が明確であること
   ・志とは自分のことを棚に上げてでも、公のために、どのようなことをやりたいかとの明確な考えを持っていること
   ・そして明確な考えを実現できるように、日々努力していること
と自分のことだけにとらわれない志の大切さを強調されていた。

 塾主の松下幸之助氏の「われわれが今日こうして生きていられるのは、自分ひとりの力ではない。世の多くの人びとのおかげがあればこそである」 という言葉も、経済成長の陰に、自分さえよければいいという思想が蔓延することへの警鐘と自分は理解した。

<日本の伝統文化> 
 松下政経塾内の一角にある茶室で優雅なひととき。
 床の間には塾主松下幸之助氏直筆の「素直」の掛軸。
 静かな中に漂う品格、お香の香りがよく似合う。
 小山事務局長によれば茶道とは日本の総合芸術とのこと。
 茶器、花、お香、和菓子、着物、茶室の造り、庭園などが分かって、初めて茶道が分かるとのこと。
 自分は日本にいながら、日本の伝統文化を修得できていない。
 伝統文化はお金持ちの時間つぶし、遊び道具と思っていた。
思い込みや先入観を捨て「素直」な気持ちで見渡せば、意外と手軽に日本の伝統文化に触れることができるかもしれない。
日本の教育には何となく欧米文化至上主義の風潮が蔓延していると感じる。
学校の授業カリキュラムに「伝統文化」を設け、茶道や坐禅、日本画などを子供のころから浸透させていくことを提言したい。
他国のことばかり学んで、自国のことに疎いのはどう考えてもいびつである。 

<靖国神社 遊就館にて>
二日目の午後は自由行動となっていたので9人の塾生と遊就館へ。
広大な展示施設を急ぎ足で見て回る。
「靖国の神々」という展示室には戦争で散華した兵士が家族に宛てた遺書が並ぶ。
その中で、神風特別攻撃隊として22歳の若さで沖縄方面において戦死された溝口幸次郎海軍大尉の遺書が目に止まる。
 「現在の一点に最善をつくせ」、「只今ばかり我が生命は存するなり」という格言を使い、従容として死地に赴く覚悟を家族に書き記している。
 展示室では国のために一身を捧げた兵士を神々として讃えている。
しかし、兵士の心の奥底に宿る本当の思いは何だったのだろう。
 「生きたい、もっともっと生きたい、母ちゃんや父ちゃん、兄弟に会いたい。恋人に思いを伝えたい。桜の木の下で一緒においしい弁当がもう一度食べたい。」といった思いが彼らの本心ではなかったか。
いかなる遺書を残そうとも、本当はもっともっと生きたかったはずである。
戦争はよくない、本当によくない。
平和な日々がいつまでも続きますように。
 
<東京大学にて>
靖国神社の後は東京大学に足を伸ばす。
漂う旧帝国大学の威容と風格。
キャンパス内は新旧施設が絶妙なハーモニーを奏でる。
安田講堂の左手には東大ローソン。
レンガ造りの建物の横にはスターバックスコーヒー。
イタリアン カポペリカーノにレストラン 松本楼。
安藤建築がひときわ際立つ、学びと創造の交差路「福武ホール」。
赤門で塾生との記念写真。
いい環境は人を幸せにする。
理想的な学園都市、東京大学。
小山事務局長が「東大はコギャルと歩くデートスポット」と定義されているのも納得。(笑)
いいものを見せてもらった。


<最後に>
「人のために生きる」ことを青臭いとする風潮があるが果たしてどうか。
遅きに失したが、人を大切にすることは自分を大切にすることと気づく。
フィリピンでの活動、松下政経塾例会でその思いを強くする。
これからの残りの人生は報恩の心を忘れずに、自他共に大切にしながら生きていこう。
そういえば、死んだ婆ちゃんがよく言っていた。
「人を苦しめるな。人には優しくしておけ。」と。
その意味が少しずつ分かりかけてきた気がする。
人のために生きてきた人の死に顔は美しい。
ほんのりと白色に染まり、微笑が浮かぶ。
婆ちゃんも安らかに、多くの人に見守られながら、天国に旅立った。
自分だけのために生きてきた人の末路は哀れ。
どす黒い死に顔に、もがくような苦痛が浮かぶ。
「天網恢恢疎にして漏らさず」とはこのことか。
人の道を歩こう、幸せの大道を歩こうと気づかせてくれた松下政経塾例会の二日間であった。