2006年 松下政経塾特別例会

 
◆三宅 雅(岡山政経塾 五期生)

《日本と日本人の「思い」》




 今年の松下政経塾特別例会に参加させて頂き、得難い人々の得難い「思い」の数々に接し、得難い「思い」を得ることが出来ました。


◆松下幸之助の「思い」

 21世紀に立ち向かう新しい日本人観を持てとの危機意識の下、「衆知」「主座」「和」を尊び、自修自得することの必要性を示し、松下政経塾を設立されました。「今やらねば、いつできる。俺がやらねば、誰がやる。」は座右の銘(「思い」)として留めたいと「思い」ました。


◆山田区長(杉並区)の「思い」

 首長の仕事の「面白さ」、即ち権限が大きい、反応が直ぐ現れる、とのお話は興味深いものでした。逆に次の選挙のことしか考えない、国会議員の仕事への疑問、小選挙区の弊害についても分かり易い話でした。

 また、次のようなユニークな取組み、考え方には大いに刺激を受けました。

・行間の「書いていない」仕事をするのが区の仕事
・敬老の日の「紅白饅頭」を節約する大きさ、医者と坊主は手強い
・改革は、例外なく一気に。発生した矛盾はあとで徐々に対応
・クーラーを取り付けない「教育」。その代わり、芝生のグラウンドを増やし、結果的に欠席日数低下、けが発生低下を実現
・少子高齢化はチャンス、1人1人の子供の教育に手をかけられる。また、教育問題への対応は、大人の教育でもある。地域の良識が向上し、経済効率向上に繋がる
・杉並師範館: 区の予算で教員養成、区の教育方針に適した教員の資質向上。

 区民40数万人の「思い」を、限られた資源の中でどのように調和させ、社会の「思い」として成立させるかに腐心する、山田区長の熱い「思い」に感銘を受けました。


◆土肥氏(事業開発推進機構)の「思い」

 地域活性化には分散した地域イメージの集約が必要とされました。コンビニで欲しいものが必ずあることの「面白くなさ」を認識し、マツキヨやドンキの面白さ、つまり何があるか分からない「戦略的遊び」の重要性を説かれました。
 
 多機能バス(送迎、配達、仕出し、宣伝)やシニアネットワーク事業、明石の「タコ検定」などのユニークな事業提案に大いに興味を持ちました。地域活性化への「思い」、ただ者ではないと感じた方です。また、お話を伺いたく思います。


◆松下政経塾塾生の「思い」

・山中氏
  松戸市の自治体改革を通じた人間の活力の創造
・兼頭氏
  人と自然のコミュニティー「うつぐみ島」、「地域から世界を変える」
  (チ・セ・カ)の提案

 いずれも現状の問題を踏まえた、よりよい社会への提案の「思い」、勉強になりました。



◆靖国神社に祀られた「思い」と悼む「思い」、そして祀る「思い」

 ニ日目、4期・日向さんのお世話になり、初めて靖国神社への参拝を行いました。本殿への正式参拝、遊就館見学は、従来のマスコミ的先入観を完全に流し去る貴重な経験でした。

 そこにあったものは二百数十万の「思い」でした。

 誰が何を「思う」のかは、人それぞれだと思います。天皇、日本、故郷、親、子供、恋人、正義、平和・・・、とにかく守りたいという「思い」がかつて存在し、祀る「思い」によってここに集積されました。

 この莫大な数の「思い」に比べれば、A級戦犯合祀問題などは全くの些少事に感じました。ただ、あまりにも数が多く、「思い」がとてつもなく「重い」ところでした。

 結果として東南アジア、欧米との激烈な戦争になり、他国の多くの人々を不幸におとしめ、自らも失ったものがあまりにも多い、という忸怩たる「思い」もここにあります。

 それら諸々の「思い」を再確認する場、それが靖国神社でした。




 ここは戦争肯定や軍国主義復活を図る場では決してないと感じました。

 このような「思い」の集積に至らしめたものは何であったのかを明確にすれば、欧米や中国、韓国の人々さえ招くことが出来る施設となり得るとすら感じました。

 明治天皇を祀った神社が明治神宮であり、吉備津彦命を祀ったのが吉備津神社と吉備津彦神社(ただし、本来前者は地元豪族温羅を祀っていたものとの説もある。征服者が支配の証しとして被征服勢力のシンボルを自分達のカラーに変えてしまうのはよくあること。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地がすべてエルサレムに集中し、互いに背中合わせになっているようなもの?)です。

 ただ、いずれも祀られているのは遠い歴史の一部や伝説の中の個人ですが、靖国神社の場合、祀られているのは僅か数十年前まで生きていた人々です。しかも半端な数ではないこともあり、その「思い」がまだ息づいていると言えます。

 現代に生きる者としては、新たに祀られる者が加えられることが無いよう、早く、一つの「枯れた」神社になる日が来るよう、「思う」ばかりです。




 福祉とは、幸福な人生とはどういうことか、時々考えます。『ベネッセ(よく・生きる)』とは、実に良く考えられた言葉であると思います。『よく・生きる』ためには、誰もがいずれ『よく・「死ぬ」』ことも考えねばなりません。

 社会をよりよくすること、つまり互いに『よく・生きる』ためにはどうすればよいのか。まずは、『よく・「思う」』ことから始めたいと思います。



追伸
 二日目の朝、寝不足と二日酔いで最悪の体調の中、3kmジョギングに出ました。湘南海岸に出ると、波に向かう多くのサーファー、振り返ればくっきりと見える富士山、みごとな絵になっておりました。ただ、『革靴』での3kmジョギングは、若干無理がありました。ジョギングシューズを忘れてきたのが悔やまれました。