2006年 松下政経塾特別例会

 
◆前 秀美(岡山政経塾 五期生)

《松下政経塾例会レポート》「学ぶ」




@ 万事研修の事
 松下政経塾はまさに「万事研修」の場であると感じた。万事研修とは、松下政経塾の五誓の一つである。それは、「見るもの聞く事全てに学び、一切の体験を研修と受けとめて勤しむところに真の向上がある。心してみれば、万物ことごとくわが師となる。」とある。政経塾の建物も人も、そのような学びのオーラを始終放っていた。松下政経塾の寮の造り、システムを見ても分かる。寮は、個室はありながら、風呂・トイレ、TV部屋は4人共同という造りである。塾生はどのような日でも必ずその中の誰かと顔を合わさなければならず、いつでも議論が行えるようになっている。選ばれた塾生に関しても、志が高く熱い人たちばかりであった。

A 日本の伝統の精神を学ぶ 
 塾頭の古山先生が塾主・松下幸之助が残した言葉を教えてくださった。松下幸之助は、松下政経塾を立ち上げたあと、入塾式の際に1期生に向かって、3つの心得るべきメッセージと3つの学ぶべき日本の伝統の精神を伝授した。最策、戦略を考える前に、心得るべきメッセージとは、知識に振り回されないように「知識の奴隷にならないこと」、人間のリーダーになるのであれば、人間の喜怒哀楽を知るように「人間とは何か知ること」、教えてもらうのではなく、自らが掴むという意味で「悟りを開くこと」というものだ。謙虚な姿勢で、冷静にかつ情熱的に積極的に取り組むことが、「学ぶ」のときのあるべき姿だといえる。
 日本の伝統精神とは、「衆知」「主座」「和」である。「衆知」の精神とは、多くの人の知恵を集めるということだ。あらゆる人の話をよく聞いていたという松下幸之助は、たくさんの人から、いろんな考えを聞いたのであろう。多くの知恵を受け入れ、多文化をフューチャリングできるのが日本の精神文化である。編集能力の高い活かすべき日本の特色である。「主座」の精神とは、何時も、自分の意思を持っておくということである。たくさんの知恵を取り入れる時、人は自分の意思が揺らいでしまいがちである。それでは本質を掴むことができない。自らの学びの「主」がはっきりしていないと、学べるものも学べなくなってしまう。グローバル化、情報多量化が急速に進んでいく現代の社会で、何を選択し、何を取り入れるか、本質を見極める力は必要となってくるであろう。三つ目の「和」とは、「和み」という意味もあるが、「日本の歴史を学ぶ」という意味を持っている。日本の歴史から学ぶべきことは、数え切れない。講義してくださった先生の一人、土肥先生は、和の伝統精神をしっかりと体得している人だと感じた。先生は、目、耳、足、手、口を使い、情報を入手し、現状を把握し、起こりうる将来を具体的に明確にする。そこから力を見出しクリエイティブに展開していくことができる人であった。あるものを見出し、力にする匠であった。謙虚で、誇りを持った姿勢が印象的だった。
 
B 学ぶ
 山田先生、土肥先生、山中氏、兼頭氏の忙しいなか、内容の濃い講義をしてくださったことに感謝している。
 自分の未熟さのせいか、「迷い」がよく発生する。「迷いに迷え」という松下幸之助の言葉は、私の背中を押してくれた。「迷い」が発生した時に、驚くことなく、冷静にその「迷い」に対し真剣に立ち向かっていこうと考えられるようになった。現在の私には、知りたい情報、見るべき場所が多く存在する。松下政経塾を訪問し、全てのモノ・出来事が、「学び」の光りを放ち、「学び」の音を立てているように感じる。一瞬一瞬が「学び」のチャンスである。多すぎる「学び」のチャンスに対し、私は、処理しきれていないでいる。主座がはっきりしていないのだろうか。
 冷静さと情熱を兼ね備え、常に学んでいたい。