2008年6月 岡山政経塾 体験入隊 特別例会

 
◆富田 泰成(岡山政経塾 七期生)

『岡山政経塾 自衛隊体験レポート』




【はじめに】 
 自衛隊というと、何をイメージするだろう。厳しい、右翼、閉鎖的、我慢と忍耐、戦争、平和・・・。
 自衛隊とは何か。その答えを自分なりに出してみようと考えていた。きっかけは山田先輩の日本の軍隊としての自衛隊についてのお話と、永岑先生のご講演だった。永岑さんからご紹介いただいた浅田次郎の『歩兵の本領』をあらかじめ読み込み、自衛隊の内部から見える世界を研究しようと試みた。「自衛隊、この心地よさはなんだろう」という浅田次郎さんが説明する集団をこの目で確かめてみたい。その気持ちで体験入隊に参加し、かけがえのないものを学ぶことができた。よって、当レポートでは、ここで行われた行事についての詳細よりも、自分が体験を通じて感じたことと学んだことを自分の言葉で書いてみたいと考えた。
 
【国歌】
 考えてみれば日本国歌を力いっぱい歌ったことなど無かった。
 私の通った小学校は、国歌も国旗も掲げられることはなく、担任からは天皇陛下のことを「てんちゃん」と呼びなさいと教えられてきた。しかし、家に帰って「てんちゃん」と面白がっていると、明治生まれの祖父母と昭和10年代生まれの両親から特大の雷が落ちた。
 その矛盾の中で、もやもやしたものを少年期にずっと持ち続けて育ってきた。小学校の卒業式には、自己表現が大切だから踊りを踊って入場しなさいと強制され、きちんと整列して入場することは禁止された。踊りの練習をしながら、これが「自由」なのかと内心冷笑したのを覚えている。その教育の中では、日本の戦争犯罪についてのVTRが見せられ、祖父たちがいかに酷い事をしてきたかを学年主任が延々と集会で講和する。私も、静かな笑顔の祖父も、昔は鬼のような人だったのかと内心信じていた。
 
 祖父母は戦争当時のことを語ることはなかった。仏壇に昔から飾られている軍服姿の白黒写真について、直接語られることもなかった。
 
 学校で聞いてきたことを家で言った。「昔の日本人って人殺しだったんだってね。」
 祖父は遠くを見て黙っていた。やがて深いため息をつくと、静かな笑みを浮かべ、「昔は、みんな大変だった。だから頑張るしかなかったよ。」と言った。祖母が話しに入ってきた。「みんな死んじゃった。みんなが大変だったからしょうがないんさ。」
 このシーンを思い出すと、私はやるせない気持ちになる。私も小学生の頃、祖父やその兄弟が軍人だったことを聞いて、心のどこかで軽蔑していた。
 今になってわかるのは、祖父の時代、今よりもずっと多くの人たちが、この国を何とかしてこの国を守りたいと思っていたということ。そのために、たとえ誰かに操られていたものであっても、若者が自分以外の人のために働くことに誉れ(ほまれ)を感じる時を持っていたこと。その歴史があって、自分が生きていること。これら全部含めて、日本という国と、それを大切にした人たちに敬意を評したい。
 
 自衛隊体験入隊のはじめに国旗に向かって大きな声で日本国国家を斉唱した。しかも力いっぱいこの美しい歌詞を詠った。この経験が私の自衛隊体験入隊の一番大きな出来事だった。皆の力いっぱいの国歌に鳥肌が立った。
 小学校の頃、歌えなかった自分の国の歌。中学になっても、高校になっても後ろめたく、大学の応援団では応援歌は叫んだが、国歌ではなかった。単純に、「この国の歌をこんなに大きな声で歌ってもいい」こんな当たり前だが生まれて始めての体験だった。
 
自衛隊
 自衛隊は、人に誇示するわけでもなく、この先代から受け継がれた国旗と、国歌を静かに背負って未来へと進んでいる。それが、私が体感することができた最もはっきりした自衛隊の姿だった。
 おそらく、若い隊員の大半はこのような思いや認識は薄いかも知れない。しかし、この職業を選び、駐屯地の中で生活する人は、20代の若者でも「有事の時は、自分も戦うのか、それとも自衛隊を辞めるのか・・・」と自問することはあるだろう。もしものことでも、今の私は「有事」とは自分のこととは思えない。
 自分や、自分の家族のためだけではないことに対して、自分の一番大事な命を捧げるという選択肢を持った人たちは、それだけで何か重いものを背負っているのではないだろうか。
 
 飲み会の時に、「今日、グランドをずっと走っている人がいましたが、体力検査で上の級にいくとどうなるのですか?」と21歳の若い隊員に聞いたときに、「どうにもなりません。名誉のためですよ」という言葉がかえってきた。同じ歳の若者では忘れられた死語であろう「名誉」という言葉が自然に使われていることに驚いた。
 彼は自衛隊に今でも迷いを感じているらしい。「大学に行きたい」とも言っていた。「有事の時はどうしますか?」と聞くと、しばらく考えて「・・・行くしかないですね」と言っていた。言葉の前の沈黙に、背負っているものの重さを感じた。
 
自衛隊と今の社会
 自分が一番大事。自分が一番かわいい。自分に優しくしたい。また優しくしてくれる人が好きである。
 しかし、自衛隊では、自分だけのことを考えていては生きていくことはできない。弱い人がいたら助けなくてはならない。1人が遅れれば、全員のご飯が食べられなくなる。タバコを吸う時間を作りたければ、皆のことを懸命に手助けしなくてはならない。
 それが当たり前になり、人と人が支えあう共同体になり、その一部でも社会にまで波及されたとしたら、この国の政治も、経済も、環境問題も、教育も、福祉も、もう少し人の顔が見える対策が見えてくるのではないだろうか。
 「人のために」と思える人になる。そのような人になるためには2つの環境が不可欠なように考えられる。
 @自分だけのことを考えていては生きていけないような厳しい環境。
 A多くの人から注目され、無私の優しさを与えられ続けるような感謝すべき貴重な経験を日常で積み重ねられる環境。
 しかし、この両者共に、今の社会で経験するのは稀なことであり、「人のために」という感情が多くの人の胸に湧き上がることは難しいのかもしれない。
 むしろ、今の社会は、「人のために」の精神と逆の方向に振れているように感じられる。
 例えば、通り魔や、秋葉原の事件のように周りの人を巻き込む殺人が目立って多い(自分が生きる気力が無くなった時に、なぜ人の命を巻き込むのか。)レストランで大声で走りまわる子供を微笑ましそうに眺めている親。食品の偽装問題(見ていないから何をしても許されるという認識なのか。)
その他、世の中を見渡すと、いかにも今起きている出来事の多くが自分善がりの発想で満ち溢れている。

 自衛隊には、強制的にでも人のことを考えざる得ないルールと、いつも自分が誰かに見られている(或いは注目されている)、絶対に裏切られない安心感が流れているように感じられた。前者は「厳しさ」を伴い、後者は個人主義に慣れた人にはわずらわしさを伴うだろうが、時に無償の優しさと感じられることだろう。
 実は「公」の精神は、このような「厳しさ」と「(無償の)優しさ」の中でしか生まれてこないのではないだろうか。その中で、すぐそばにいる友を大切に思い、別世界にいる家族をいとおしく思い、親に感謝する。
 自衛隊に流れる独特の空気は、自分以外の人のことを考える個々人が作り出している支え合いの精神だったように思える。これが「公」の厳しさと心地よさなのかも知れない。
 
これから
 中隊長が最後にご講演された時のお言葉が忘れられない。
 「部下が危ないと思えば、命をかけて守ります。」また、「有事の時は、まず最初に我々が命をかけます。その準備はできております。」
 私は、そこまで言いきる潔さは持ち合わせていない。しかし、できることはある。近くにいる1人でも多くの人を守ること。そのために守れる人間になること。また、自分のことを心から頼ってくれる人を、1人でも多くしていくこと。そのための努力を続けること。更にその輪を職場へ、地域へ少しづつでも拡大させることで、表層だけでなく、根幹の部分で支えあえるコミュニティーを提案していくこと。
 政経塾の7期生として、これからの自分の活動に還元させていくことができれば、今回の体験入隊が、より意義深いものになるものと信じている。
 
 
 おわりに 感謝
 自衛隊は、自分の目線だけではなく、常に外からの大きな目線を感じ、ことごとくごまかしの効かない場所であった。ここで2つの言葉を忘れないようにしたい。
 @お天道様は見ている
 A卑怯者にだけはなるな(永岑先生のお言葉)
 
 最後に、今回のプログラムの全てを取り仕切ってくださり、多くの感動を与えてくださった中隊長をはじめ、日本原駐屯地の方々、体験入隊を前に貴重なご経験を元にご教授いただき、当日まで声援を送られ励まして下さった永岑先生、今回の体験入隊の諸手続き、打ち合わせなど、一手に幹事と出席者をまとめて下さった山田先輩、そして、いつも我々のことを信じ、時に笑顔で、時に怒りをもって本音で教育してくださる小山事務局長に、心より感謝申し上げます。
 
                              平成20年6月29日 
                           岡山政経塾7期 富田泰成